雪国のくらし雑感 3月4日

2006年版No.1
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もう雪解けの季節に入ってきているので、今頃雪国の暮らしについて書くのも間が抜けているが、そこは今まで忙しく書いているヒマがなかったことにしておこう。


作業小屋の雪下ろし


屋根上から見る母屋

その1:この冬は全国的に大雪で、そのために雪下ろしなどの作業中に命を落とす人がたくさん出た。それで、全国的には、雪下ろしというのは危険な作業だ、という印象がかなり広がったようだ。たとえば、雪下ろしの際には命綱で屋根からの転落を防ぐべきだとかいったふうに。しかし、こういうのは雪国でまったく暮らしたことのない人の感覚だ。雪下ろし作業は危険ではない。もし雪下ろしが危険だと言うのなら、ふだん道路を歩くことだって危険なのだ。いつ自動車が暴走してきて跳ねとばされるか、不安で不安で、外を歩けないじゃないか。そういう話と同じレベルで危険なのだ。命綱が必要だなんて聞くと、私らは笑ってしまう。一般の住宅でそんなもの付けて雪下ろしをしている者なんて見たこと無い。

大雪で死んだりケガをしたりする人の年齢層をまず見てほしい。そのほとんどが、いわゆる高齢者だ。しかも若者がいない年寄りだけの世帯の、なかでも独り暮らしの老人だったりするのだ。つまり大雪の人的被害というのは危険性の問題ではなくて、雪国の高齢化の問題に尽きている。若い者がいなくなった過疎の町村に不可避に起きる、高齢化、過疎化を背景にした事故なのだ。雪下ろしが危険なわけではない。そういう雪国に年寄りだけを残していることが危険なのだ。それと、統計を取っているわけではないが、屋根から転落して死ぬというよりも、屋根から落ちてきた大量の雪の下敷きになって死ぬ、という年寄りが非常に多い。雪下ろしをするほどの元気がある年寄りは、そんな死に方はしないのだ。


  スノーダンプで除雪


      流雪溝

それなら、何でそんな苦労だけの雪国に年寄りはいつまでもすんでいるのか。そんな村や町は捨てて都会に引っ越せばいいじゃないか。そう思われるかも知れない。もちろん、都会に出た息子や娘を頼って故郷を捨てる年寄りも多い。が、にもかかわらず故郷を離れない年寄りもそれ以上に多いのだ。なぜなら、どんなに雪が深くても春は必ず来る。この世を覆っていた雪が日一日と消えていって、土がかならず顔を出してくる。その地に生まれ育った者は、その地がどれほど苦労の多い土地だったとしてもその地に深い愛着をもって生き続けてきた。それは何にも代えられない、その人の人生にとって掛け替えのない価値なのだ。

ちょっと脱線するが、昨今の「改革」というやつは、経済効率というものを最大の価値基準にして世の中を変えていこうというものだ。そういう価値観で雪国を見ればどういうことになるのか。まず、こんな、雪以外に何もない、ろくな産業もない、生産性の低い、したがって就職先もない、行政が住民からまきあげる税収もない、大雪になると人が死ぬ、除雪の費用ばかりめちゃくちゃかかる、そういう地域に大事な国民の税金を使うのは「もったいない」。そういうことになるのだ。まったく、今流行のコイズミ「もったいない」改革とは、こういう地域や名もない人たちの暮らしを切り捨てることをよしとしている。そういうニッポンの風潮に乗っている。そんなところに税金を使うより、都市近辺に投入したほうが効率的だからね。よって、ますます都市に人は集り、過疎地はますますさびれ、社会の格差はさらに広がる。

しかし、政府というのは、そういう格差の拡大をおさえるのが一番大事な役目だっていうことを忘れては困る。都市的な価値観、新自由主義者からは「ムダ」と思えることだって、全体として考えたら必要なことだってあるのだ。この人の世というものは、経済的にはまったく”役にたたない”地域や人々によってなりたっているのだ。コイズミ、タケナカ、カイカクを支持している人々の心の底を流れている「貧しさ」といったら何としよう。。。。


      除雪グレーダ


      除雪ドーザ

その2:記録的大雪だったので、今年は道路の除雪も追いつかないほどだった。普通の年なら雪が積もっても自動車道が通れなくなるようなことは起きない。朝、夜明け前に除雪大型機械(除雪グレーダ、除雪ドーザ)がかならず走って道路脇に雪を押しつけていく。道路脇には流雪溝といって雪を流す水路が走っている。そういう水路が無い道路は広めに作ってあって、ある程度なら雪を押しつけておくだけのスペースが確保されている。ところが、そういう広めの道路さえ、今年はすぐに限界が来た。それまでなら対向する自動車が難なくすれ違えたような所まで、すれ違い不可能になる道路があちこちに出現した。



      国道(20m 道路)



            歩道

こういうとき、ドライバーは対向車と道幅との関係を絶えず計りながら運転することになる。少しでも道路幅の広いところがすれ違い場所になるわけだが、もうそれは相手の車のドライバーとのあいだのアウンの呼吸がモノを言う。雪がない季節には考えられないくらいお互いの車のコミュニケーションが大事になるのだ。なかには状況をちっとも理解できないトンマなドライバーもいて、ときどきバカヤローと怒鳴りたくなることだってある。たとえば対向車のために車を脇に寄せて止まっているときに、後ろから来たオバサンが追い越して行ったときなんか、最悪だ。今年はそういうことが2回あった。「オイオイオイオーイッ、そこのオバハン、免許取消し!!」。女はなんて自己中が多いのだろう。だから長生きするのだろうけど。

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