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旧暦と尺貫法が世界を救う・・・[2008/4/9]

富国強兵のための暦破壊

植物や昆虫、鳥などを相手に毎日を暮らしていると、太陽暦の一種である今のグレゴリオ暦いわゆる新暦というのが、ひとつも「合理的」ではないことに気づかされる。というより、太陰太陽暦いわゆる旧暦がいかに素晴らしい時間空間の尺度だったかを考えさせられる。現代の日本社会は農林水産業で暮らす人がわずかになって、自然界に向き合わない生活をする人が大半になった。自然と関わりなく生きていられる人が増えれば増えるほどに、自然界と密着した太陰太陽暦はその意義を失うようになる。こういう人にとっては、春の七草は新暦1月早々に生えてくるものなのかそうでないのか、ひな祭りの桃がいつ花を開くのか、芭蕉が詠んだ五月雨はいつの季節の雨か、イチゴの旬はいつなのか、天の川は梅雨時に見るものなのか、そういうことはどうでもいいことになっていくだろう。

いわゆる新暦は、明治6年1月1日(旧暦明治5年12月3日を新暦1月1日とした)に施行された。これは、明治政府が政治的に決めて実行したのだった。暦を変えるということがどれくらい革命的か、想像すれば分かるだろう。革命的といっても良い方に変わるという意味ではない。暦とは文化そのものであるので、それを号令で根本から変えるのは文化破壊のひとつのかたちと言っていい。それを明治政府はやった。自国の文化を破壊してまで、西洋に合わせる必要があったということなのだろう。端的に言って、西洋の科学技術文明に対応して、富国強兵を進めなければならなかったからだ。しかし、それはいつの時代になっても絶対に正しい選択でありつづけるものなのだろうか。

価値観のちがい

太陽暦も太陰太陽暦も(あるいは太陰暦も)、どちらかが絶対に正しくどちらかが絶対に間違っているということはない。どれもある条件の下で合理的な尺度であり世界観だ。どちらが新しくどちらが古いということもない。ちがう前提条件をつけてやると、今まで合理的だったものも非合理的で価値のないものに変わる。名前でも分かるとおり、太陽暦は太陽の周りを公転する地球の周期のみが基本になっている。太陰太陽暦は月の満ち欠けつまり地球を回る月の周期を基本(太陰暦)にしながら、それを閏月をくみこむことで太陽・地球の周期(太陽暦)と調整融合させた暦だ。ごくごく簡単にその性質、特性をまとめてしまえば、太陽暦は自然界を改変、支配するのに適した尺度であり、太陰太陽暦は自然界に宥和するための尺度と言えるだろう。Copyright(C) Watanabe Tatsuro

わたしたちは西洋から伝わった尺度が「合理的」かつ「文明的」であるかのように思いこまされてきている。しかしそれは誤っている。「世界はこの尺度に一本化されていくのが歴史の必然である」かのように思いこんでいるとしても、それは必然でも宇宙の法則でもない。人間の選択の問題なのだ。何に価値を置くかの問題なのだ。

しかし、世界を改変、支配することが「進歩」だと信じる力のほうが今は圧倒的に強い。とくに産業革命以降、世界ではその勢力が加速度的に力を増した。改変する方が刺激的であり、カネになり、名誉であった。政治的にも経済的にも軍事的にも、世界を改変する力を持つということが、多くのひとびとの欲望となってきた。帝国主義時代には、現実に西洋の列強が世界を支配した。ある意味で、改変する方が楽だった。限りない欲望をおさえる必要がないからだ。どんどん改変し、どんどん支配権を拡大しようとする力に抵抗し、異議を申し立てるのは容易でない。

グローバル・スタンダード

今風に言えば、太陽暦は「グローバル・スタンダード」のひとつだろう。世界標準の暦だ。この世界標準に絶対の価値があり、ローカル・スタンダードは遅れた基準、古い基準、淘汰されるべき悪である。そういう価値観が世界を覆い尽くそうとしている。グローバル・スタンダードを決めたのが誰かを問うことも無しに、それが神聖不可侵な原理原則にまつりあげられている。そしてグローバル化に反対するのは、迷妄未開な抵抗勢力として、駆逐される運命にある。

たとえば、いわゆる「新自由主義」と大雑把にくくられる世界観を信奉する人たちは、基本的にローカルな基準や規制の撤廃排除、自由化推進を善としている。要するに、経済においてはグローバルな自由市場に任せるのが最も正しい結果をもたらす、という素朴な性善説に表向きは立っている。市場に介入するのは原則悪だ。自由万歳!だ。というわけだ。

ここで前提とされている市場の「自由」とは一体何だろうか。そもそも「自由」とは誰にとっても同じものなのか。自由も、それを前提とする自由市場というものも、ひとつのフィクション、虚構ではないのか。自由というのは錯覚ではないのか。そういう疑問が自然と浮かんでくる。市場の真ん中に立って、市場の喧噪に紛れ込んでいると、全体は見えなくなる。市場の視点から後方へズームアウトしていくと、全体を支配しているものが見えてくるかもしれない。ズームインするとすべては自由に振る舞っているように見えるが、視点をずっと後ろに引いていくと、実際はもっと大きな力にがんじがらめに縛られている市場の姿が見えてくるだろう。あたかも仏様の手のひらの上の孫悟空みたいに。

農耕文化の切り捨て

話を元に戻そう。太陰太陽暦はその時代を生きる人びとにとってかつて大切な文化だった。しかし、世界の自由な!帝国主義時代のなかでは、その文化は時代に合わない悪習とされて、帝国の仲間入りを目指す明治政府はこれを切って捨てた。工業を主体とする産業革命以後の帝国にとっては、農耕文化と密接なつながりを持つ太陰太陽暦はじゃまものでしかなかった。こうした政府の上からの文化破壊に対して、一般庶民は「月遅れ」の行事という手段で抵抗した。現代でただひとつ生き残っているのが「月遅れのお盆」だ。ほかはほぼ全滅した。抵抗もむなしく、ごく一部の特殊な宗教行事だけが伝統的暦で営まれているぐらいだ。とくに第2次大戦敗戦以後の、日本の高度経済成長時代はその強烈な経済主義によって、太陰太陽暦文化は息の根を止められた。生産性の低い農耕中心文化など、近代の経済国家にとって何の役にも立たない代物だったからだ。

こうして、世の中は奇妙なことが当たり前になっていく。春でもない季節の年賀状に「新春をことほぎ」等と恥ずかしげもなく書く。これから一年で一番寒くなる時期に「春の七草」がゆを作れと言う。どこに七草が生えているのだろう? 石油で暖房した温室の中だ。桃の節句?ひな祭り?どこに桃が咲いている。こどもの日、菖蒲の香りはどこにある?。五月雨(さみだれ)?5月に大雨が降るのか、あれは梅雨時のつよい雨だろうに。梅雨になると今度は七夕だ。天の川でなくて雨の川だ。こんな濁流の川を牽牛は渡ってこなければいけないのか、、、。という、挙げればキリがないほどの中身のない「文化」(これが文化と言えるのか)が幅をきかすようになった。このことを不思議と感じる感性は今のほとんどの日本人にはない。ひな祭りも七夕も、日本の幼稚園や保育園では毎年新暦で行われる。こうして日本の子供たちは、じっさいのナマの自然とはかけ離れた空虚な「文化」を身につけていくのだ。

新自由主義的な世界観からすれば、イスラム社会にある太陰暦やかつての日本の太陰太陽暦、現中国の農暦などは、グローバルな自由市場のなかで競争に負けた、非効率な制度だった、とみなされるだろう。負けたのだから無くせばよい。そういう結論になるだろう。世界の市場が太陽暦を選んだのだ、ということになる。しかし、ほんとうにそういう切り捨て方で物事を進めていって良いものなのだろうか。「効率的な文化」とか「非効率な文化」という分け方はそもそも出来ない。ほんらい文化に経済的効率など持ち込めないからだ。文化を金に換算できると考えるとすれば、換算した途端にそれは文化ではなくなるだろう。

関連記事:
『国民の「祝祭日」』(2002年1月24日)


尺貫法については、そのうち書きます。