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18歳は大人か? ・・・ [2009/7/31]

法務大臣の諮問機関・法制審議会が29日、民法上の成年年令を20歳から18歳に下げるのが適当、という答申を出した。

ちょっとちがうんじゃないか、と思った。

ニッポンでは、子供が大人になる年令がどんどん上がっている。と、わしは考えている。言い方を変えれば、なかなか大人にならない若いニッポン人が増えているということ。わしももう50代後半だが、なかなか大人になれなくて困っている(笑)。成人年令を引き上げるというのなら話はわかるが、引き下げるべきだという考えはトンチンカンのポンポコリンだ。

昔のニッポンでは、20歳くらいの男は皆「おっさん」顔だった。 このことは、昔の写真を見るとよくわかる。たとえば、わしは学生の頃、体育会系のクラブ活動をしていた。そのクラブの創設頃(昭和30年ころ)の部員を写したアルバムには、学生服を着たおっさんが並んで写っている。ところが、同じクラブの今の現役部員をみると、皆こどもこどもした顔をしている。5,6歳も歳が違って見える。

これは、誰でもそう思うはずだ。昔の若いモンと今の若いモンは顔つきが全然ちがう。昔はごつくて角張った顔が多かった。外見と中身が一致しているとは限らないが、関係があることは確かだろう。外面が大人っぽかったということは、それなりに自分は子供でないぞという気持ちが外に自然と表れていたのだと思う。今はポワンとした顔が圧倒的に多い。弱々しい感じが漂っている。なんで、そうなっているのか。原因は食い物のせいもあるが、それよりもニッポン人の寿命が伸びたせいだ。わしはそう確信している。

ニッポン人男性の寿命は、1960年に64歳くらいだった。2000年に78歳くらいになった。昔は60歳というとヨイヨイヨレヨレの老いぼれ爺さんだった。たいていの中高年ならそれを思い出せるだろう。自分たちが子供のころの60歳は見るからにいつ死んでもおかしくない存在だった。

年寄り寿命が60から80になるということは成人年令も上がるのが動物の生理的仕組みではないか。ゴム紐に目盛りを付けて引っ張った状態を考えてみたらいい。ゴムを伸ばせば目盛りと目盛りの間隔も伸びる。つまり、生まれてから死ぬまでの長さが伸びれば、生まれてから大人になるまでの長さも伸びるに違いないのだ。

寿命が短い社会では子供は早く大人になる。大人にならざるを得ない。でないと生きていけない。早く大人になって自分でエサをとってこないといけないのだ。寿命が長い社会では大人になる必要がない。早く大人になっても何も得しない。寿命が短い社会では早く子供をつくって育て上げなければならなかった。今はそんなことはなくて、30歳代で子供をつくるのは珍しくも何ともない。

だから、成人年令を法律で下げるというのは現実をまるで分かっていない人のやることだ。

ところが、少年法では犯罪の「低年齢化」を理由にして対象年令を引き下げる気分、風潮にずっと流れてきた。ほかの法律は20歳成人なのに、刑法なんかと関わる少年法だけ年令を下げるのはおかしい。20歳なら全部20歳、18歳にするなら全部18歳を基準にしないとバランスがとれない。

わしは、25歳くらいを成人年令にするのが適当だと言っておく。極端かな。

ほんじゃら、どうしたらいいのか。

わしは、選択制にしたらいいと思う。基本は25歳(とりあえず20歳でもいいか)を成人とする。ただし、本人が18歳になる時点で自分は18歳で大人だと思えば成人申請をすることができる。いちど決めたらキャンセルはできない。18で大人に登録された者は、法律上すべてにおいて成人あつかいされる。つまり成人の権利はすべて認められる。酒を飲んでもいい。同時に成人の義務もすべてのしかかってくる。犯罪を犯せば成人として処罰される。こういうの、どうよ。20歳で申請してもいい。22歳で申請してもいいが、遅くとも25歳になったら自動的に全員成人あつかいになる。

もう一つ提案。

未成年があるのと同じように、過成年があってもいいのではないか。「過成年」とは年取って成年を過ぎた人を言う(わしが勝手に作った造語)。これだけ長寿命になった社会で、そういう成年の「上限」があっても何もおかしくない。

そりゃ、こんなことを言ったら、年寄りから袋だたきになるのは目に見えている。だけどねえ、これは、年寄りはもう要らないと言っている意味ではないよ。成年というのは成年としての権利があるのと同時に成年としての義務もある。未成年よりは圧倒的に重い義務を負っている。これを80,90のじいさんばあさんにまで負わせる必要はないだろうということだ。義務をずっと軽くするのと同時に権利も少しは減らしてもらうということ。たとえば未成年と同じレベルにしてもらう。少年法と同じように「老年法」をつくって保護する。70歳以上を老年(過成年)と定義する。

これで、年寄りは楽隠居したらいい。そうしてニッポン社会の年令構成は、未成年、成年、過成年の三段階になる。過成年がかんぜんに隠居することで、社会が若返ることまちがいない。ニッポンの活力がまたもどってくるだろう。年寄りがいつまでもしゃしゃり出ていることを老害という。年寄りが元気でがんばっていて若い者に元気がないような社会はろくなことがない。この世の中では、年寄りがすすんで身を引くことは一番大事なことなのだ。それでもって世の中の重心が若い方にシフトする。

と思うんだが。どんなもんだか。人権団体が抗議に押しかけてくるかも。

「年寄りは働くしか能がない」と言って世間からたたかれた総理大臣もいたっけなあ。

会社の経営者も70歳定年。選挙権も70まで、政治家に立候補できるのも70歳までに制限する。70過ぎたら成人映画も禁止する。酒タバコはもちろん。運転免許も。ヒマでぼけるのが心配なら、小中学校の隣に老年学校をつくって全員、毎日通ってもらう。年寄りは、よく学び、よく遊べ。

財源はどうするんだ? というお決まりの批判は、無しにしてね。