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なんちゃってゴジラと日米同盟 ・・・夢の終わり [2009/12/16]

なんつうか、またまた松井秀喜の話で恐縮します。

わしもかなり何度も、松井がヤンキースに入団したときから、ゴジラとアメリカ、ゴジラと日米同盟、について書いてきた。愛読していただいている方なら思い出してください。同じことをここで書くのはめんどくさい。(下の方に関連のリンクを張っておいた)

松井はヤンキースをクビになって、エンゼルスに移ることになった。ホームランを連発してニューヨーク・ヤンキースの優勝に大貢献したというのに、あっさり放り出された。東海岸・花の都はニューヨークからいわば都落ち、カリフォルニアが本拠地のエンゼルスだ。どうせなら、もうニッポンへ帰ってきたらどうか。1年でまたエンゼルスからも放出されるのは目に見えているでよ。

松井という男は、ニッポンのニュース・メディアに登場するとき、必ずと言っていいほど「チームの勝利に貢献する男」として描かれてきた。このことに気づいている人はどれほどいただろうか。テレビでも、新聞でも、「勝利に貢献した」という表現が必ず使われるのだ。気持ち悪いほど、判子で押したように。ニッポン国内のプロ野球でこういう表現が使われることはほとんどない。

「貢献」ですぐに「国際貢献」ということばを連想できれば、あなたは立派なニッポン人だ。国際貢献からさらに自衛隊、と連想できれば、あなたはもう名誉アメリカ人だ。

自衛隊も、米軍といっしょになって、アメリカの勝利に貢献するため一生懸命に働いてきた。イラクで、インド洋で。ヤンキースとはアメリカそのものだ。松井秀喜とは、日米同盟のシンボルだ。彼がヤンキースの一員としてニュースに登場するたびに、ニッポン人の潜在意識に、国際貢献ということばを刷り込んできた。アメリカの勝利に貢献する男として。ただの凡打者だが、ニッポン世論向けにはまだ使い道があった。

ニッポンのメディアに登場するイチローのほうは、「記録を作る男」として描かれる。松井とは少しちがう。イチローがヒットを量産しても、マリナーズは弱いチームだから負ける。勝利に貢献しようにもしようがない(笑)。松井は記録を作れない打者なので、その代わりとして、チームに貢献するまじめな男、アメリカに従順なニッポン人、に仕立てあげられる。表現にちがいがあるが、イチローも松井も、どちらもアメリカに愛されるニッポン人優等生、日の丸を背負った大リーガーとして、愛想よくマスメディアに登場する点は共通している。

野茂英雄は、「チームの勝利に貢献する男」、ではなかった。彼は、ただひとり、「ひたすら野球を追い求める男」だった。だから、輝かしい成績を上げ、戦力外通告され、何度も別のチームで復活した。チームのため、などという発想は野茂の野球にはなかっただろう。どこのチームであろうとも、野茂は自分自身の投球を追い求めた。まさしく孤独なサムライだった。ニッポンのマスコミにはいつも無愛想だった。野茂は、日の丸など背負っていなかった。日の丸を捨ててアメリカに渡った。だからこそ、彼だけがほんとうに偉かった。

日米同盟が大きく変わる気配をみせる今日この頃だ。沖縄もインド洋も。そして松井秀喜も。こういうことは不思議と全部がつながっている、リンクしているものだ。あらためて思うね。ぜんぜん無関係そうなことが、見えない糸で結ばれている。ゴジラは日米同盟のシンボルだったと。(もはや過去形です)

アメリカン・ドリームの終わり。時代の変わり目だヨ。松井くん。

いまだアメリカに認めてもらうことを生き甲斐にしている松井くん同様の人が、ニッポンにはいっぱいいる。とくに自民党の先生方、自称外交評論家の方々、自称ジャーナリスト、大新聞社、米国通ブンカ人、えとせとら。沖縄問題で「アメリカが怒っている」とか「アメリカの信頼を失う」とかいって騒いでいる人たちだ。

かわいそう。松井くんと同じ運命だ。

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『ゴジラ、ニューヨークを行く』(2003年1月15日)
『続・ゴジラ、ニューヨークを行く』(2003年1月17日)
『ちぎれるほどに振るシッポ』(2008年3月31日)