東京第5検察審査会の小沢一郎「起訴相当」議決について、何か書くべきなのかもしれない。
が、なんだかアホらしさばかり感じてしまう、うすら寒い春の一日。
以下の阪口氏のブログに議決内容とその評価がまとめてあるので、ま、ここらを読めば済むだろう。
何ともはや、およよよのよ。11人の「善良」なる審査員のツラが見てみたいものだが、名前も公表しない、素性の知れない、無責任な「一般市民」が世の中を動かすというのも、かなり不気味なものだ。
検察審査会は、検察庁が不起訴にした案件をもういっぺん引きずり出して起訴に持ち込ませる仕組みだ。つまり、人に罪をかぶせる方向にバイアスがかけてある。逆に、検察が起訴した案件がはたして起訴が適切かどうかを審査する仕組みはない。つまり、人をなるべく罪人に仕立ててやろうという力だけが働いていて、なるべく犯罪人扱いしないように思いとどまらせる力は働かない。アクセルはあるがブレーキはない。起訴しろ起訴しろ、そういう仕組みが、この検察審査会制度だ。
去年、制度改正で検察審査会の権限が強くなった。強制的に起訴させる力を持った。力を持った以上はその力を使ってみたいと思うのが人情だろう。だから、明石の花火大会死傷事件も福知山線脱線事故も、署長・副署長だったというだけで、歴代の社長だったというだけで、いけにえとして公開の場へ引きずり出すことになった。誰かを、とくに大物を、公開リンチにかけたくてウズウズしている日本人がいっぱいいるらしい。そういう無責任な市民の心理を検察庁や裁判所という組織がうまく利用している。
我が家の爺さんも、実は検察審査会の審査員を何年も務めているのだ。不思議なことに、制度上はくじで選ばれて任期6ヶ月、だというのに、30年かそこらは続けている。かなーり、変だよな。この仕組みのうさんくささが表れていると思う。まったく。