クマ出没、リンゴは狂い咲き 10月1日

2003年版No.15
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9月末、近くで熊の足跡が見つかった。子熊のものだったらしい。当然、親熊もいるはずだ、ということで自治会の車が注意を呼びかけて回った。見つけた人も初めはカモシカのものかなあと思ったらしいが、念のため詳しい人に見てもらったら「熊だ」ということになった。普通ここらでは熊が目撃されることはない。せいぜいカモシカか猿くらいだ。熊の出没はかなり珍しい事件と言ってよい。ここにも異常気象・冷夏の影響が出てきたのだろう。山に食べ物が少ないのかもしれない。

異常気象で9月の後半になってリンゴの花があちこち狂い咲きした。これがその写真1写真2。狂い咲きは前にも一度あったが、あれも冷夏の年だったか、覚えていない。熊出現ほどではないものの、狂い咲きも珍しいことには違いない。植物は子孫を残すために花を咲かせる。リンゴは果実を実らせるために花を咲かせる。秋に開花してもその目的は達成されないから、まったくのあだ花になる。季節を勘違いさせるくらい、今年の夏の気象はおかしかった。

熊で思い出すのは学生の頃の体験だ。もうかれこれ30年近く昔のことになる。

私はM君と二人で夏合宿の下見に大笠山へ登った。季節は6月末だったと思う。大笠山というのは、岐阜、福井、石川、富山四県の境に広がる白山山系、その北のはずれに近い1800メートルほどの山だ。この山周辺は登山者も稀で、整備された登山道はなく、けもの道をたどり藪に埋もれた踏みあとを進むという、いかにもワンゲル向きの地域だった。人の匂いのしない山域だ。その大笠山と南隣の峻峰・笈ヶ岳(おいずるがたけ)に私たちは足を踏み入れた。この白山の北部地帯はもともとツキノワグマが多く棲息していることで知られていた。だから私たちも熊に遭遇する可能性も考えながら登った。大笠山頂で一泊し翌日は笈の頂をきわめることができたので、元来た道を下山した。途中、日も傾いたので尾根筋の灌木に囲まれたちょっとした空間に簡易テントを張りシュラフにもぐって眠った。

何時間経ったか、ふと私はM君にゆり起こされた。彼は暗闇のなか押し殺した声で言った。「聞こえないか?」・・・・・・。私はシュラフに入ったままで耳を澄ました。ドッ・・・ドッ・・・ドッ・・・。たしかに規則正しい足音のような音がする。「熊か?」「夜中にこんな所を人が歩いてくるわけないぞ」。その夜は風もなく晴れた静かな夜だった。下の方から近づいてくる。20メートル先? いやもっと近く? 何か大きな音をたてなければ!!  私は携帯ラジオをボリュームいっぱいにつけた。M君はザックに忍ばせていた2B弾に火を点けるとテントから身を乗り出して暗闇に向かって放り投げた。パーン。一発、二発、三発。「2B弾」というのは花火の一種。今はたぶん子供には危険だというので売られなくなったはずだ。M君の弾はすぐに底をついた。なむあみだぶつ。ラジオが何の放送をしていたのか記憶にない。どこかの深夜放送だっただろうか。私はホエブスに点火した。ホエブスとはガソリンを燃料とする調理用バーナーのことで、通称「ブス」という。ブスの出力を私は最大にした。野生の生き物は火を恐れるはずだ、と。やがてかすかに東の空が白み始めた。朝が近い。私たちは簡単な朝食を済ませじっと夜明けを待った。

当時、私たちの汗くさく小汚いワンダーフォーゲル部部室のロッカーには、全国の大学ワンゲル部や山岳部の遭難事故報告書がいろいろ保存されていた。そのなかにヒグマ遭難記録があった。どこの大学ワンゲルだったか、九州のどこかだったと思うが、北海道日高山脈での夏合宿事故報告は凄惨な内容がつづられていた。逃げようとする部員が一人また一人とヒグマに襲われる、身の毛もよだつ経過が記録されていた。ヒグマに比べればツキノワグマはまだまだ「かわいい」部類かも知れない。

食べ物が少ないのが熊ぐらいならご愛嬌だね、と笑っていられるだろう。まあ、猛暑や冷夏はエアコンの売れ行きに影響するね。米の不作と聞いてそそっかしい米ドロボーが出てくるね。そういう、みみっちい発想しかしないのが現代の日本人だ。けれども事は世界規模で起きている。気象が狂えば植物は狂う。その結果がどういうことになるか。植物が狂えば山の木の実だけでなく穀物、野菜、果物の成熟も狂う。それから、それから、狂った植生のうえで暮らしている昆虫や動物が狂う。そしてやがて、この地上に広がる食物連鎖の頂上にふんぞりかえっている人間様は、食い物をめぐって争いごとをおっ始めるに決まっている。これは一体、誰の責任なのだろうか。

クマ出没中
11月6日

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