歳のせいかなあ & サクランボの作柄 6月12日

2004年版No.5
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なんだか歳のせいか、ここのところ何かを書こうという元気が出ない。一瞬あれについて書こうか、と思っても意欲が持続しないままに気が付くと時だけが過ぎてしまっている。すでに書くにはタイミングを失っている。それと、このホームページも間口をちょっと広げすぎの感があって、それぞれの部門すべてについて更新の面倒をみるのはかなり負担が大きい。もう少し若ければ思ったことをガンガン書けるかもしれないが、それよりも書かねばならないという義務も強制もないので怠惰に流れているというのが本当だろう。

今年も桜桃の季節になった。四月末の開花期の天候がそうとうに不順だったせいで、今年のさくらんぼは去年に続く不作になった。花が五分咲きくらいになった4月23日から雨、冬型による低温、強風、また雨、と続いた。満開を過ぎてしまうまでの一週間に温暖でハチが飛んだのは実質2日しかなかった。

我が家の桜桃畑はおおまかに言って二カ所ある。一カ所は出来が良いが、もう一方の畑がかなり悪い。そのうえ6月7日から8日にかけてかなり強めの雨が降って実割れが発生した。まだ完熟していない果実は硬いので、急に水分が入るとパックリ裂けてしまう。ほんらい雨除けハウスを被覆完了した後だったから大丈夫のはずだが、今年は果実数が少ないのでハウスの中でもあちこち実が割れた。一本の樹に成っている実の数が少ないと、根から吸った水分だけで実が割れてしまうのだ。これは不作に追い討ちをかける。あーあ。いやになるなあ。いっぱい成っていると水分が果実に分散するので、ハウスの中で実が割れることもないのに。今年も、サクランボの季節は我が家にとって少し憂鬱。

しょうもない補足:人間が感じる時間の速さは一定ではない。特殊相対性狸論でまとめると、ある人にとっての時間はその人の年齢の二乗に比例して速くなっていく。たとえば20歳の時の1日は40歳になると6時間に縮む。4日前のことを昨日のことのように感じてしまう。60歳ではもう1週間前に見た番組を昨日見たように感じているから、週に1回しか放送がない番組なのに毎日見ているような気がしてくるはずだ。こうして、人の感じる時間の速さは幾何級数的にスピードを増していき、それが無限大になったとき、人はこの世の外へ行ってしまうのだ。

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