米沢地方では、今年の桜桃は大豊作だった。異常とも言えるほどの大豊作。一昨年。昨年と凶作で、サクランボの収入が半分以下に落ち込むというツラサを味わった後だけに、この豊作は喜ばねばならなかったはずだ。しかし、しかし・・・・・。
樹にはほとんど3年分の果実が成ってしまった。成りすぎ。成りすぎ。成りすぎ。成りすぎは当然、1個の実にいく養分が少なくなる。大きくならない。だから今年はまだ青い実のうちにどんどん摘果をした。摘果をしたがあまりにもいっぱい成っていて、かなり落としたつもりでもまだまだ落とし足りなかった。参ってしまった。
7月10日も過ぎると、ふつうの年であればとっくに収穫を完了して樹には果実が残っていない。ところが今年は、7月10日を過ぎて樹にはまだかなりのサクランボが成ったままだった。もうこの頃になると収穫してもほとんど売れない。市場での価値が無くなっている。サクランボの季節はもうお終いなのだ。それに果実に害虫が入りやすくなる。実も柔らかくなって長距離輸送には耐えられなくなる。だから、もう収穫してもゼニにはならないのだ。それなのに、この時期にこれだけ残っている。始末する人手も時間もない。我が家の農作業は家内労働力だけが頼り、しかも収穫作業はわたしと年取った爺さんのたった二人だけだ。困った。
もしサクランボを樹に残したままだと雨に当たってやがて腐る。実が腐ると葉っぱにも移るので葉っぱも腐る。葉っぱがやられれば来年にたたる。だから実は落としておかねばならない。それに、さっさと雨除けハウスの覆いをはがして樹に雨を当ててやりたい。でないと桜桃の樹体が衰弱してしまう。しかも、もう早くサクランボにケリをつけてりんごや洋梨の仕事に戻らなくてはいけない。大事な秋の収穫に差し障りがでてしまう。樹にはまだ食べられる果実が成っているが、もはや見切りを付ける時が来た。7月15、16の2日間で、雨除けハウスのポリ被覆をすべてはがした。
ポリの覆いも防鳥網も取り払った無防備の桜桃はたちまち鳥の集中攻撃を受ける。明くる日の夜が明けるころにはムクドリの偵察隊が絶好のエサ場を見つけているだろう。しだいに数を増してきたムクドリの大集団は、やがて樹にとりつくやいなやサクランボをつつき落とし始める。バラバラと地面に散乱するサクランボ。地上に集まった鳥が歓声を上げながら食べる。樹から見る見るうちにサクランボが消えていく。
まさにこれは”鳥葬”だ。今年の最後のサクランボをムクドリの大群に葬らせるのだ。すべては自然に帰っていく。ムクドリが繰り返してやって来ること数日。樹上からサクランボはすべて消えた。米沢地方の多くの農家が同じようにサクランボを”鳥葬の儀”に供した。わざわざ鳥にくれてやるなんて、わたしも生まれて初めてだった。ムクにとってはお祭り騒ぎの7月だった。彼らも思っても見なかったサクランボの食べ過ぎで、腹具合がおかしくなったにちがいない。
かくして今年のサクランボの季節は終わっていった。